2010 吉田亮
博士論文要旨
メタボロミクスに基づいた出芽酵母の代謝関連変異株の分裂寿命の予測および寿命関連変異株の戦略的スクリーニング
大阪大学大学院 工学研究科 生命先端工学専攻 生物資源工学領域 福崎研究室
吉田亮
第一章 諸論
メタボロミクスでは,代謝物の網羅的観測を行う.当該分野の技術を用いれば,明らかな表現型の変化を生じない酵母変異株であっても分類できることが,最近示された.この分類では,観測で得られた生データが代謝フィンガープリントと代謝フットプリントとして用いられた.今回の私の報告では,代謝プロファイルを株に固有のフィンガープリントとして用いることで,複雑な表現型である寿命を見積もり,寿命関連変異株を戦略的にスクリーニングできることを示す.本実験で使われたフィンガープリントは生のスペクトルデータではなくプロファイルデータであり,これは個々の同定された代謝物の定量値から成る.モデルとなった表現型は出芽酵母の分裂寿命であり,寿命の変化した幾つかの変異株が質量分析計による代謝プロファイリングに供された.プロファイルデータに基づいたフィンガープリンティング解析では,寿命と代謝プロファイルとの間に関連があることが明らかにされた.この関連には主にアミノ酸とヌクレオチド代謝物が寄与していた.そこで,これら代謝物の合成と分解に関わる遺伝子が欠損すると,寿命が変化するのではないかと考えられた.このことから,寿命の変化しうる変異株の候補が幾つか選択された.更に,代謝プロファイルから寿命を予測する多変量モデルを作成した.寿命の変化が推定された変異株に対してこのモデルを用いたところ,当該モデルは寿命延長の判別を容易にすることが示された.今回の手法は,複雑かつ定量可能な表現型を,メタボロミクスを用いて評価しスクリーニングする新規的なアプローチである.
第二章 酵母の代謝物の同定と定量および主成分分析による寿命関連代謝物の探索
メタボロミクスの手法を使って代謝解析を行なった株は,低グルコース条件下で成育することでカロリー制限処理した野生株と,栄養応答シグナル伝達と代謝制御に関わる遺伝子が欠失したことで寿命が変化した変異株,pde2,gpa2,hxk2,idh2,tor1である.ここで扱う酵母の分裂寿命は,老化前の母細胞により生み出される娘細胞の数で定義される.gas chromatography-mass spectrometry (GC-MS) とcapillary electrophoresis-mass spectrometry (CE-MS)を使って,各株の細胞抽出物中の83種類の低分子代謝物を半定量分析した.質量分析で得た83種の代謝物量の情報を使って,寿命の延長は細胞内のメタボロームとどのように―あるいはどの程度―関係しているのかを明らかにし,同時に,寿命と量的に相関のある代謝物を見つけるために,代謝物情報を主成分分析(principal component analysis, PCA)により視覚化した.この結果,第2主成分(これは,分散のおよそ13%からなる)に基づく分離は,寿命の長短に応じた分離と一致していた.この分離は,分裂寿命の長短に応じた代謝の違いを表している.このことから,この主成分方向への分散に寄与した代謝物に注目すれば,寿命の長短と相関のある代謝物を同定することができる.寿命延長方向の分離に対して,アスパラギン酸とグルタミン酸から生合成されるアミノ酸群は正に,核酸とその代謝物は負に寄与していた.そこでこれらの代謝物の代謝に関わる遺伝子を,寿命関連遺伝子であると予想し,以下に続く実験で,その寿命を予測することを試みた.予想された遺伝子は,アミノ酸代謝に関わる遺伝子である,UGA3,FZF1,と,ヌクレオチド代謝に関わる遺伝子である,URH1,FCY1,TAD1,IMD2,SML1である.これらは過去に欠失時の寿命が報告されていない遺伝子である.
第三章 Orthogonal projection to latent structure (OPLS) 解析による寿命予測モデルの構築
PCAの結果,細胞内の代謝フィンガープリントの変化は,寿命と強く関係していることが示唆された.細胞内,あるいは細胞外の代謝物の測定で得た代謝物情報は,異なる遺伝型の株を区別するために既に利用されている.しかし,今回のように,定量的表現型の増減に沿った分離を観測した報告は始めてである.この結果は,酵母の代謝物情報には表現型を予測するのに十分な情報が含まれていることを示唆している.そこで,代謝フィンガープリントから寿命は予測可能であると考え,次に,先の定性的な解析に加えて,定量的な解析として,代謝フィンガープリントを予測マルチマーカーとした寿命の予測を試みる.
PCAに用いた株と同じ寿命変異株について,これらの代謝プロファイルと寿命延長率の報告値とをOPLS解析により関連付けることで,寿命予測モデルを構築した.この結果,代謝プロファイルと寿命との関係を表す回帰モデルが得られた.モデルの直線性,予測力は,R2,Q2が共に1に近いことから,高いことが示された.モデルにもっとも強く影響を与えた代謝物のほとんどはPCAの寿命順の分離にも寄与した代謝物であった.これは,PCAで寿命との相関が観測された代謝物が,寿命の予測に重要な役割を果たしていることを示している.クロスバリデーションによる予測能力の確認では,寿命予測モデルを作成するときに,どの寿命延長株を抜いた場合でも,抜かれた寿命延長株に対して寿命の延長を実測値に近い値で予測できることが確認された.
第四章 新規寿命延長株発見のための寿命予測モデルの応用
OPLS解析で,寿命予測に適したモデルを構築できることが確かめられたので,次に,PCAの結果に基づいて寿命延長が予想された7変異株の寿命を,OPLSモデルを用いて予測した.同時に,OPLSモデルの予測能力を検証するため,これらの株の寿命は,寿命測定によって実験的に確認された.寿命測定では,今回寿命延長を予想した株のうち,urh1,uga3,fzf1 の寿命は有意に延長することが確認され,一方,OPLSモデルによる寿命予測でも,これらの株は25~28%寿命が延長することが予測された.この他の株の寿命については,寿命測定で有意な変化が確認されず,また,OPLSモデルにより予測された寿命延長率も平均で22%以下であった.このことから,本モデルを用いれば寿命延長株の予測が可能であり,またこの時の判別の閾値は約25%であることが示された.
第五章 総括
このように,寿命延長株と似た代謝プロファイルを示す株で寿命の延長が見られたことは,代謝レベルで起こる種々の変化に依存して寿命が変わる可能性を示唆している.また,クロスバリデーションにより,本来の寿命に近い値が予測されたこと,および寿命予測モデルを用いて寿命延長が予測された株の全てについて寿命の延長が確認されたことから,代謝プロファイルをマルチマーカーとして用いることで,まだ充分に正確とは言えないが,寿命の長短を予測できた.
寿命に影響する遺伝子の変異を探索する場合, BY4742をバックグラウンドとした4775株からなる酵母の変異株コレクションが配布されているが,出芽酵母の寿命を知るには,寿命測定の期間を通して母細胞から娘細胞を,マイクロマニピュレーターを用いて分離し続ける必要があり,大きな労働力を要する.このことが原因となって,出芽酵母の寿命は比較的短いにも関わらず,寿命延長遺伝子の発見が制限され,包括的な老化の調査が困難なっている.これに対して,本研究で実証したように,2段階のプロセス ― 1. PCAで寿命と相関する代謝物を見つけ,その代謝に関連する遺伝子を予想する.2. 次に,選定した遺伝子の欠失変異株の寿命をOPLSで予測する.― を経て寿命を予測することで,新しい寿命遺伝子の候補を絞り込めるなら,寿命遺伝子の探索の効率を上げることが可能となるだろう.
発表論文リスト
本学位論文に関与する論文
Ryo Yoshida, Takayuki Tamura, Chika Takaoka, Kazuo Harada, Akio Kobayashi, Yukio Mukai and Eiichiro Fukusaki (2010). Metabolomics-based systematic prediction of yeast lifespan and its application for semi-rational screening of aging-related mutants. Aging Cell, (Accepted) (Journal impact factor in 2008: 7.791)