2018 畠中治代
論文タイトル 「ラガービール酵母のα-グルコシドトランスポーターの機能解明と変異型トランスポーター高発現による発酵速度改善」
論文内容の要旨
第1章 緒論
ビールの原料である麦汁にはグルコースと、α‐グルコシドであるマルトースとマルトトリオースの3種類の糖が主に含まれている。ビール酵母がα‐グルコシドを資化するためには、ATR: α‐グルコシドトランスポーター、MTR: マルトーストランスポーターと、グルコースへの分解を触媒するマルターゼの発現が必須である。酵母はグルコースなどの単糖を優先して資化するために、α‐グルコシド資化関連遺伝子は、グルコース存在下で遺伝子発現抑制と翻訳後分解の両方の厳格な制御を受ける。ビール醸造においてはグルコースからα‐グルコシドへ、スムーズに資化が切り替わる必要があるが、これら二種類の制御のためにα‐グルコシドの資化遅延がしばしば起こる。これを解決するため、ラガー酵母と実験室酵母株の各種のMTRとATRについて性質を調べた。またその性質を改善し、改変トランスポーターを用いて、ビール醸造の発酵促進を実現する事を最終の目的とした。
第2章 ラガー酵母の持つマルトーストランスポーターとα‐グルコシドトランスポーターのクローニングとその構造
ラガー酵母においてS. cerevisiae型のATRであるAGT1と、S. eubayanus型のオーソログ(SeAGT1)をクローニングしたところ、前者は全く活性はなく、後者はマルトースとマルトトリオースの両糖を取り込む活性があったが、マルトースによりほとんど誘導されなかった。そこで、ラガー酵母のゲノムライブラリーより、マルトトリオース単独培地での生育を指標にスクリーニングしたところ、MTRであるMAL31と91%の類似性を持つトランスポーター(MTT1)を取得した。Mtt1pはAgt1pやSeAgt1pよりもマルトトリオースの取り込み活性が高く、特に低温での活性の低下が少ない事がわかった。また、取得したクローンがすべてMTT1を持っていた事と、MTT1が醸造中にMAL31と同じく発現量が高かった事から、Mtt1pがラガー酵母においてマルトトリオースを取り込む主な役割を果たしていると結論した。
第3 章 実験室酵母のMal31p, Mal61p, Mal21pとAgt1p、およびラガー酵母のSeAgt1pとMtt1pの詳細な特性解析、および改変
実験室株のMTRであるMal31p, Mal61p, Mal21pについて調べたところ、これら3つのトランスポーターは互いに98%以上の類似性を持つが、Mal21pは他の2つに比べ活性が高く、突出してグルコース誘導性分解に対する耐性が高い事が判明した。またAgt1p, SeAgt1p, Mtt1pはMal31pとMal61pよりもグルコース誘導性分解に対する耐性が低く、基質特異性の広いトランスポーターほど分解されやすい事がわかった。Mal21pにグルコース誘導性分解耐性を与える決定因子はN末の細胞質側ドメインにあるGly46とHis50である事がわかった。そしてこのMal21pの決定因子の情報より、Agt1p, Mtt1pのグルコース誘導性分解に耐性な変異型を取得する事ができた。またMal21p, Agt1pの輸送活性には、Glu161, Glu167がそれぞれプロトンリレーに関わる酸性アミノ酸として必要である事を特定した。
第4章 実験室株およびビール酵母でのα‐グルコシドトランスポーターの高発現
実験室株において各種MTR, ATRを高発現させたところ、グルコース存在下でも分解耐性の高いMal21pの発現株は、マルトースとグルコースの両糖を含む培地にだけ生育不可となった。マルターゼとMal21pの共高発現株、あるいは活性のない変異型Mal21[Ala161]pを高発現した株ではこの生育阻害は起こらなかった。生育阻害細胞の細胞内マルトース濃度は71.4 mM (2.44%)に達し、マルトースが蓄積した細胞ではタンパク合成が停止するため、他の栄養素に制限がない状態であっても生育阻害を起こす事が明らかになった。実験室株より高いマルターゼ活性を持つビール酵母では、Mal21p, Agt1 [Gly56]p, Mtt1 [Gly46]pなどのトランスポーターを最適に組み合わせて高発現すると、糖濃度の異なる様々な麦汁を用いた発酵試験において、総合的に発酵速度を促進させる事ができた。特にグルコース濃度が高い場合には大きな効果が得られ、高濃度醸造に有効だと考えられた。また出来上がったビールは親株で作ったビールと比べて、香味にほとんど差はなく、MTR, ATRの高発現がビール醸造における発酵速度促進に有効である事がわかった。
第5章 総括と展望
本研究では、ラガー酵母においてメインの役割を果たすマルトトリオースを取り込むトランスポーターがMTT1であることを突き止め、その性質を明らかにした。また実験室酵母の持つマルトーストランスポーターのうちMal21pが、他のトランスポーターとは異なり、グルコース誘導性分解耐性を持つことを見出した。そしてその決定因子を決定し、その情報から他のトランスポーターもグルコース誘導性分解耐性を与えることに成功した。また実験室株でATRの高発現を行うと、グルコースとマルトースの両糖を含む培地では細胞内にマルトースが蓄積して、生育阻害が起こる事を発見した。この時、細胞内ではマルターゼを含めたタンパク合成が停止するために、マルトース蓄積が解消できずに生育復帰できないことがわかった。それに対しラガー酵母は非誘導時でもマルターゼの活性が高く、分解耐性を持つATRの高発現をしても生育阻害は起こさず発酵を促進できた。特に高濃度麦汁、グルコース濃度が高い場合に効果が大きかった。今後様々な種類の原料を用いて、糖の種類や割合が異なる新しいビール風飲料を開発するような場合や、元々の糖資化能力が劣る酵母の育種に本研究成果を応用することができると考えられる。