2012 越智浩

博士論文要旨

「ガスクロマトグラフィー/質量分析を用いたメタボローム解析に基づくチーズ品質評価技術の開発とその応用」

大阪大学大学院 工学研究科 生命先端工学専攻 生物資源工学領域 福崎研究室

越智 浩

第1章 緒論

チーズは世界中で生産並びに消費されており,グローバルな視点から食品産業における一大カテゴリーを成している.ナチュラルチーズは,ウシの分泌物である乳を出発原料にして,レンネットや乳酸菌スターターを添加し,複数の工程を経て製造されるが,特に熟成中において生化学的な変化が起こり,独特のフレーバー,アロマ及びテクスチャーが形成される.原料由来の組成の違い,添加される塩類,酵素,乳酸菌,そして熟成中の分解・異化などにより様々な化合物がダイナミックに変化しながら存在し,その表現型が品質として発現するチーズは,単独あるいは2,3の成分に着目したアプローチでは科学的に取り扱うことは難しい.チーズ産業においては,チーズの複雑な成分とその変化を捉えて科学的に品質と関連づけることが困難であるため,品質や製造の管理には長年の経験に基づく職人的な技能がいまだに必要とされているのが現状である.

そこで,メタボロミクスの技術をベースとして,科学的かつ実用的な品質設計・評価システムを確立することを目指し,本研究では,チーズの官能的品質において重要な役割をもつ親水性低分子量化合物をターゲットとして,ガスクロマトグラフィー/質量分析(GC/MS)を用いたメタボロミクスに基づく成分プロファイリングを行い,新規なチーズの品質評価方法の確立を目的とした.そのために,第2章では,日本において生産・消費の面で最も一般的なチェダーチーズ及びゴーダチーズについて,得られた結果が拡張性をもつよう選定した熟成度の異なるサンプル群に対してGC/MSを用いた成分プロファイリングを行い,官能評価との相関を確認し,官能予測モデルを構築した.続いて,第3章では,GC/MSに基づくメタボローム解析技術を製造や品質管理の現場へ展開することを想定して,ガスクロマトグラフィー/水素炎イオン検出器(GC/FID)を用いてGC/MSで構築した官能予測モデルを再構築し,GC/MSとの互換性を示した.そして,第4章では,GC/MSを用いた成分プロファイリングをチーズ熟成工程の条件設計と品質モニタリングへ実用的に活用するため,複数の適切な多変量解析と組み合わせた運用方法を提案し,それを工業的製造規模のチェダーチーズ熟成工程で検証した.

第2章 GC/MS によるチーズのメタボリックプロファイリングとその官能評価 モデリングへの応用

GC/MSを用いた親水性低分子量化合物のプロファイリングによってチーズの官能特性を表現することが可能かどうか,チェダーチーズ及びゴーダチーズを主とする全13種類のサンプルの親水性低分子量化合物についてGC/MSを用いたメタボローム解析を行い,同時に官能評価(定量的記述分析,QDA)を実施した.メタボローム解析と官能特性をPLS回帰分析でモデリングしたところ,熟成に関与する2つの官能特性“Rich flavor”及び “Sour flavor”について良好な官能予測モデルを構築することができた.また,構築したモデル構築に寄与する化合物を抽出したところ,“Rich flavor”に関しては呈味性をもつアミノ酸群が順当に示された一方で,これまで熟成風味との関連性についてほとんど報告のないPyroglutamic acidがポジティヴな熟成指標となることなどの知見が見出された.“Sour flavor”に関しては直接風味に影響を与えていると見られLactic acidのほか,Succinic acid及び甘味アミノ酸であるProlineがネガティヴな寄与を示すなど風味形成における相互作用を示唆する結果が得られた.これらの結果より,GC/MSを用いて親水性の低分子量化合物を対象としたメタボローム解析により,熟成に関わる官能特性を精度良く予測できることが明らかとなった.

第3章 GC/FIDによるチーズのメタボリックフィンガープリンティングとその官能評価モデリングへの応用

GC/MS用いたメタボローム解析のプラットフォームを製造や品質管理の現場へ展開するのに際しては①感度,再現性及び安定性に優れている,②装置とメンテナンスコストが安価である,③操作が簡便・迅速である,といった要件が求められる.その有力な選択肢としてGC/FIDを用いたメタボリックフィンガープリンティングについて,第2章で得られた官能予測モデルの再構築ならびにGC/MSとの互換性という観点から検討した.その結果,チーズの親水性低分子量化合物をターゲットとして,GC/MSを用いて得られた官能予測モデルを,GC/FIDを用いて再構築可能であることが明らかとなった. GC/MS,GC/FIDをそれぞれ用いて構築した官能予測モデルにおけるサンプルの並び順序は一致し,予測スコアが近似しており,相互に代替可能であることが示された.また,必ずしも常時必要とはされないが,ピーク同定ができないというGC/FIDの欠点は,同タイプのカラムを用いたGC/MSによる同定ピークとの対応関係によって解決することができた.GC/FIDはGC/MSと比べて装置のコストが低く,メンテナンスや操作が容易であるため,本章でGC/MSモデルとの互換性が明示されたことで,GC/FIDを用いたメタボリックフィンガープリンティングが,メタボロミクスに基づく品質評価技術を製造や品質管理の現場へ実用的に展開する際に,有力な選択肢であることが示された.

第4章 GC/MSを用いたチーズ品質評価方法の熟成モニタリングへの応用

GC/MSを用いたチーズの品質評価方法の重要な応用として,チーズ熟成工程に適用し,条件設計と品質モニタリングに資する運用方法を提案した.異なる原料など製造条件を変えたチェダーチーズの熟成工程中の変化を追跡して使用原料の相違をメタボロームの変化として捉え,熟成中の官能特性の変化をモデル化し,熟成のマーカーとなり得る化合物を探索した.その結果,食塩含量や乳酸菌スターターが異なる3種類のチェダーチーズについて,主成分分析でそれらの相違を鳥瞰し,サンプル間の相違を判別分析手法を活用して検討し,挙動の異なる特徴的な化合物を抽出し,箱ひげ図で検証した.また,熟成に関わる官能特性“Rich flavor”について良好な官能予測モデルを構築した.更に熟成マーカーとなり得る化合物を探索するため,主成分分析ローディングプロット及び“Rich flavor”官能予測モデルに基づく重要な化合物を抽出し,それらの熟成期間中の経時変化を確認することでマーカーとしての適性を確認した.

第5章 総括

第2章では,GC/MSを用いた親水性低分子量化合物のプロファイリングによってチーズの熟成度合いに関与する官能特性を精度良く予測することができる官能予測モデルを構築し,メタボリックプロファイルが官能特性を表現できることを示した.第3章では,GC/MS用いたメタボローム解析を製造や品質管理の現場へ展開するために,GC/FIDを用いたメタボリックフィンガープリンティングについて,GC/MSを用いたメタボリックプロファイリングと相互に代替手段となりうることを明らかにし,現場への展開において有力な選択肢であることを示した.第4章では,GC/MSを用いた親水性低分子量化合物プロファイリングをチーズ熟成工程の条件設計と品質モニタリングへ実用的に活用するため,複数の適切な多変量解析と組み合わせた運用方法を提示した.原料が異なるサンプルの熟成工程における相違をメタボリックプロファイルの相違として捉え,挙動の異なる特徴的な化合物を抽出した.また熟成工程中のメタボリックプロファイルと官能特性の関係をモデル化した.更に熟成マーカーとなり得る化合物を探索・検証した.本研究により,メタボロミクスに基づくGC/MSを用いた親水性低分子量化合物プロファイリングによる新たな実用的チーズ品質評価方法を確立することができた.今後の展望として,本研究の延長線上には,チーズの品質に関与するすべての化合物を“マルチマーカー”としてプロファイリングし,その全容を明らかにし,品質や製造に関する産業的な設計・管理を完全な科学的制御下に置くというゴールが存在する.本研究を起点としてメタボローム解析技術を活用したチーズ品質研究を更に進展させていきたい.

論文リスト

本学位論文に関与する論文

1) Ochi, H., Naito, H., Iwatsuki, K., Bamba, T. and Fukusaki, E.: Metabolomics-based component profiling of hard and semi-hard natural cheeses with gas chromatography/time-of-flight mass spectrometry, and its application to sensory predictive modeling. J. Biosci. Bioeng.,, 113, 751–758(2012)

2) Ochi, H., Bamba, T., Naito, H., Iwatsuki, K. and Fukusaki, E.: Metabolic fingerprinting of hard andsemi-hard natural cheeses using GC/FID for practical sensory prediction modeling. J. Biosci. Bioeng.,

114, 506–511(2012)